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Aはある少女の写真を持っていて引き伸ばそうとします。そして街をふらつくだけ。Bは地道に稼ぐだけ。Cは弁護士に合格します。しかしAはたまたまBのタクシーに乗ります。それももしかしたらBのあとのタクシーになったかも知れないのですが運ですね。そして途中で殺します。めった打ちですね。死体は川に捨て車を乗って帰ります。まったく動機はないのです。あるとしたら彼女みたいな女を誘ってドライブに行きたかったことでしょう。しかし誘う女はタクシードライバーの近くの人で車を見たらすぐに誰のものかわかりました。さて裁判が始まります。Aの弁護人はCです。しかし完敗。しかし刑務所に護送されるときにCはAの名前を呼びます。そのあと、裁判官のところに行き、もっとベテランの弁護士なら判決は違ったか?尋ねます。変わらない、という答え。CはたまたまAが犯行の準備をしていたカフェに合格のあと、偶然居合わせていたのです。何をやるのか知っていれば、とめたでしょう。しかしそのときは赤の他人です。どうしようもないです。弁護士として初めてAと縁が出来たのです。この縁のめぐり合わせがCを悩ませます。そして死刑の日、CはAに面会に行きます。そして話を聞きます。するとAはあの名前を呼んでくれたことがすごくうれしかったと、そしてなぜ車を憎むかを話し始めます。それは友人とAが酒を飲んだ後、友人が酔っ払ってAの妹を引いて殺してしまったからです。それ以来、Aの歯車が狂ったと話すのです。人には、小さな出来事でもその人の運命を変えてしまう出来事があるのです。このように死刑の日になって饒舌に今までのことを話し始めるA。同情の余地はあるものの行った犯罪は紛れもなくAのなすところです。Cが弁護士試験で言っていたように、恐怖は抑止力にはこのケースではなりませんでした。意味もない犯罪です。恐怖なんかAは感じていなかったのです。そしてAの過去の悲しい経験がこの犯罪を起こしたのです。過去に妹を殺されたのも過失のある何の意識もない暴力でした。人間はもっと深い、わからない存在みたいです。なぜに暴力はなくならないのでしょう?そのことが疑問に残ったCでした。私は救われたのは最後に死刑の前にAの話をCが聞いたシーンです。ここが唯一、Aの人間らしい描写でした。本当に近くに生活しているのに殺される人、裁く人、弁護する人、犯罪者が日常的に関与しているのです。ここではじめのシーン、動物たちが殺されてます。どんな恐怖を与えても人間の暴力はなくならないのでしょう。それが人間みたいです。残念なことです。この作品は単品で見るより「デカローグ」の十戒のひとつ「暴力、殺人」としてみなければ内容がわからないでしょう。

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「時をかける少女」大林宣彦監督 1983年

「人が現実よりも理想の愛を知ったとき、それは人にとって幸せなことなのだろうか、不幸なことなのか」とかいう出だしですね。今回見て初めてこの一文に気づきました。

尾道の風景が出てきますが(あたりまえですね)こんなに出てくるのか、と思うほどきれいに映ってます。一度も行った事ないのです。広島のついでに行ってみようかと思います。

そしてはじめのスキーのシーンの音楽良いですね。スキーで深町(Bとする)がなんか原田知世(Aとする)の意識に上るんですね。そしてラベンダーの香りをかいで気絶。意外と覚えているようで覚えてません。このラベンダーは初恋なのかと思うのですが、確かもう一ひねりあるという記憶だけで、はっきりしませんでした。

時間が一日ずれることに気づいたAはBに相談して昨日あったことが実際に起こることを照明します。そのときBからテレポーテーションとかの説明をされている雰囲気はもう初恋ですね。いい感じです。その前にBの家の温室で「ももくり3年かき8年、、、」の歌をいつの間にかハーモニーしているんで、どこかに憧れがあるんでしょう。子供のときの傷に気づくのですがねえ。しかし、なんというやわらかいテンポなんでしょう。素晴らしい。今では考えられないようなテンポです。屋根の落盤事故のときに子供のときの記憶が元に戻ってから、Bの存在を無我夢中で追いかけてしまって、時空間を飛んでしまったらしいのですが、海の先端の岩肌の花を取りながら話している構図はきれいですよね。おかしくなったときに戻るときにいろいろな人生のページを見ていくのですがそこでBは死んでいたということを知るのです。この土曜日の実験室に戻るときの時と風景(尾道)のコラージュと音楽、良いですねえ。実はリアルタイムでは馬鹿にしていたんですが、今見ると良いです。監督も多分今よりもずっとロマンティックだったんでしょう。しかし、美しいです。そのあとの未来人とかいう説明はさすがについていけないですが、これSFなんですね。SFでない方が良いのに。最初のスキーのシーンが未来人がやってきた合図なんて、監督はSFと初恋をダブらせてかなり確信犯的に作ってますね。それで映画の前の文章になるわけです。しかし一目あったその日からの大恋愛という感じのスタートではないんですが、実験室では「私もついていく」と大恋愛に発展しましたね。ちょっとずるいなあ。監督手を抜いている感じもします。途中経過が大恋愛かあ、と思うのです。しかし最後に又出会いましたね。これで大恋愛完成です。そうしたら今までのシーンが、動く記念撮影みたいに楽しく、本当に走馬灯のように流れて行きますね。これはリアルタイムで観ていたら気に入る映画になっていたことでしょうし、この女優一作目からいい映画に出てますね。ユーミンの最後の曲も良いですね。今になって角川映画なんて観てますが、当時は5本くらいかなあ、ロードショーで見ていたの。

「キャット・ピープル」ポール・シュレッダー監督 1982年 アメリカ

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