前ページ

4人目の殺人をしたまじめな高校教師が殺人の前にある男(以下Aとする)と会っていました。この男が発酵の種なんですかね。そのあとの被害者が警察官なんです。この人に話しかけられるとこのAはライターの火でなにか催眠暗示みたいなのをかけたかもしれません。それで(暗示で)人が殺せるようになるのでしょうか?いや、暗示といっても切る、という暗示なんでしょう。切るという行為は私も職業柄しょっちゅうしてます。当然警察官も殺人をします。そしてAは記憶喪失の身元不明人として病院に連れて行かれます。今度は女医です。すべてのケースにここまではタバコを吸います。今回は「前にAの中にあったものが今はすべて外にある。だからAは空っぽ。しかしまわりにそれらを持っている人はわかる」というのです。今度は水を使います。しかし確実の暗示をかけてます。「女と見くびられてきただろう」「初めての死体解剖の実験、男だっただろ、それを切り刻んだとき胸がすっとしただろう」などです。そしてXの文字を書いて去ります。殺し方は暗示をかけた人の職業や技術に関係します。女医は死体解剖のような殺し方をします。しかしあの警官が連れて行った身元不明人にスポットが当たり、担当刑事が今度は暗示かけられるのでしょうか。しかし、今までの殺人犯人からこのAの指紋が検出されてます。かなりの証拠なんですが、まだ記憶喪失のふり?ですね。私が刑事ならかなり、頭に来るでしょう。

メスマーという学者の考え方に傾注しているらしい。催眠法を研究していた学者らしい。たぶん医大の学生ですね。そのとき刑事はAの部屋を見て何かにピンと来て家に戻ってみたら妻が首吊り自殺してました。という幻覚をみます。いや、何かわからないものです。こういう精神病の関係する犯罪の映画は観ていて気味が悪いですね。この映画もついでに付いていたのですが、1年くらい無視してました。処分しようと思って観たのですがさすがに気味が悪い。尋問していてもAのペースになってしまう。いらいらしますね。このいらいら感は刑事のほうが強いからペースを乱されるのでしょう。「社会が悪い」とか刑事も言い出すようになります。危ないです。このとき、私が見てあの女医がかかった水の暗示が成立したように見えるのですがいかがでしょう。刑事も妻に対して自信がもてなくなったからでしょうか、妻をとりあえず病院に預けます。すごいお金がかかりますよ。払えるのだろうか?多分刑事の月給分は毎月かかってきます。預金がなければ破綻です。それは置いておいて、そのとき精神病の先生に刑事のほうが奥さんより病気が重そうに見えるといわれます。しかしAの部屋を見た刑事の友人で精神科医は逆に暗示にかかってしまいます。部屋にXの文字が。そして刑事のAの正体は?の問いに対して「何かの伝道師」ではないかと言うのです。当然その精神科医は自殺します。自分で暗示にかかったことがわかったのでしょう。そしてAは逃がされ、メスマーの秘密の部屋にやってきます。Aを逃がしたのは刑事らしい。そうなるとAにあったとき、「思い出したか」といって撃ち殺すのもわかります。最後にAがXの文字を切ろうとするとその暗示が終わらないうちにまた容赦なく弾を撃ちます。メスマーの秘密の部屋というのは昔、そこで実験が行われた廃墟です。Aを殺したあと(正当防衛かなあ)そのときの録音テープを聴いてしまいます。そのあと、なぜだか病院では刑事の妻がXの字に切り刻まれて死んでました。そして刑事はあれだけ食べられなかった(妻が肉を料理しないで生のまま出していたんです)肉をおいしそうに食べてます。肉料理を片付けているウェイトレスの前で刑事タバコに火をつけます。あとは知らない。そのウェイトレスは当然、Xの文字を。

この監督の映画で初めて最後まで飽きることなく見ることが出来ました。「ニンゲン合格」よりは面白いかな。チャプターに監督自身が変なタイトルつけているのでこの監督自体がおかしいのかもしれません。そこまで深くないぞこの映画、という感じですがね。

 

「シェルタリングスカイを書いた男ポール・ボウルズの告白」ジェニファー・バイチウォル監督 1998年 カナダ

意外とカナダ映画が多いですね。「月の瞳」もそうですし「翼をください」とかも確かそうだと思います。うん、みんなレズの映画ですね。この映画は冒頭から小説の中の性器切断の場面の引用から入って「私の小説はサディスティックな描写が多い」と告白。そのあと肉屋の調理場、床全面に血が流れてます。そしてヤギの頭、それをきれいに切りそぎます。あの嫌な映画「カルネ」(ギャスパー・ノエ監督)を思い出しますね。「アレックス」の時に一緒に観てしまいました。これは私も暴力だと思いましたよ、「カルネ」「カノン」「アレックス」3本ですから。同じく脳みそは出てくるは、で大変気持ち悪いですね。

「なぜ人は運命に従うのか」といわれてもねえ。でもはじめから良い問題提起です。さてどうなることやら。作曲家だったときの曲については誰が書いたのか、なんてとぼけているけど作曲では補えない何かが作家に転向した理由なんでしょう。さらに詩について奥さんにいさめられるところの記述があり「うそからは感動的なものは作れない」「またそんなことまでして作る意味はあるのか」というようなことを(ちょっとニュアンス違うかもしれません)言われました、とのこと、自分の意識というのは嘘なんでしょうか?笑い

まあ作曲家としてパリにいたときからこの人は何か重大な意思決定から逃げる癖がついていたみたいです。いつも逃げ続けているようにしか聞こえません。しかし妻との恋愛はかなり強いものだったらしいです。気持ちが強いけど態度は紳士という感じですね。見つめあう恋は本物です。話し方はいつも初対面みたいというのも笑えますが、お互い尊重しているのでしょう。でもレズとホモなんですよね。

次ページ