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あとはなぜ、砂漠にいたったかです。「アメリカでの価値基準である、成功が第一という考え方についていけなかった」ことや順調にことが運ぶことを書けないこと、さらにはタンジールに恋人がいる画家が彼らをスパイさせるためにタンジール行きを勧めたということらしい。ともあれ、砂漠との出会いですね。そこで距離を保ち冷静に自分の生活を守るスタンスが見えています。日本にいる外人もそうですよね。「いちげんさん」では逆にそれが壁のように映ったのでしょう。「郷に入れば郷に従う」という考え方はしないと明言してます。しかしところどころで出てくる仮装パーティーの様子はかなり遊び人だったことを示しますね。私ももっと遊ばなくてはと思うのですが、最近はまじめです。

移住当初は外国人はモロッコでは特権階級だったんですね。逆に地元の人は貧困で仕方なく売春をやっていたり、男同士が寝ていたりするのです。男同士が寝ることも今では、はやらないとしてやらないみたいです。そしていろいろな作家が遊びに来て交流していることも描かれてます。まずは自分が自活を出来れば、ほかの人と交流も出来ますよね。その友人の作家たちとの距離がいいのです。近すぎず、遠くすぎず。ほかの作家(バロウズたち「ビート」系の作家)たちと違って文法を変えることなく表現した。すべての小説は探偵小説だと至極当たり前のことを言いのけます。もちろん探偵は読者であって、どう作者の都合で物事が進行するかを解き明かすだけですもの。そして映画「シェルタリングスカイ」についてめちゃくちゃ、だと言ってます。最後が特にひどい、これはバロウズが最後はどうやって表現した?という質問にたいする答えです。「はやくローマに帰りたかったんだろう」とまで言われてますね。これは原作、原文で読んでみようと思います。確かに途中に中だるみあるんですが、私は名作(映画「シェルタリングスカイ」)だと思っているのです。

人は「やったことで判断」ただの「分類」は無意味。なにがいいたいかというとホモというレッテルを貼られるのは嫌だ。このホモというレッテルが「分類」なんです。この分類の評価は「劣っている、むかつく、変わっている」です。なにか一時は文化人は興味がなくても一度は味わっておかなければならないものと考えていた節があるんですが、まあボウルズは本当らしい。妻の方はそれをみてレズに走ったとか、会う前からレスだったとか言われてますが、まさに昨日の映画(リービング・ラスベガス)のように酒におぼれていきます。「酒をやめろ」とボウルズが言っても(これを昨日の映画では言うな、と約束して一緒になったのですよね)「言うは易し」「やめたくないからやめられない」と。さらにすごいこといいます。「人は誰かを愛せるか、そうは思わない、誰かを愛するということは異常なことだ」わかる気がします。ですから普通の人は愛する人と結婚しないんでしょう。逆説的に正論。そして「人間というのは球体で、触れ合うとしてもほんの一点のみ、あとは漂っているだけ」とまで言います。あと、「死んでいる」ということと「死」は対極にあるといいます。ここはわからないです。多分、死は生の判断の基準点で死んでいる状態は死のあとの状態ということ。死の前の状態は「生きている」ということを言っていると思います。しかし若い元気で才気ある姿と今の年とってよぼよぼのボウルズとバロウズを見ているとなんとなく判る気がします。「生とは死ぬまでの間」、これはいいのですが、次に人の存在証明を表現するときその人の環境を言いあらわすと良い、というようなことを言うのですが、いい言葉です。環境は少なからず、その人が選択してきた道です。そして環境への反応度を見ろというのですがまさにそのとおり。

映画の裏側を(シェルタリングスカイ)見た感じです。映画の評価は変わりました。こういう映画はあまりないのですがドキュメンタリーはやはり迫力あります。

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「愛に関する短いフィルム」 クシシュトフ・キェシロフスキ監督  1988年 ポーランド 

エンジニアかな(郵便局員でした)、孤独な状態というのはすぐにわかります。覗きが趣味かその対象が好きなのか、わかりませんが、かなり暇でエネルギーもてあましてますね。私は常づね思うのですが、覗き、ストーカーは冷静にコスト計算すると絶対に合わない犯罪だと思うのですが、なぜ多発するのでしょう。このケースは公務員でした。そして自分の部屋から望遠鏡で中年の女の部屋を覗いているので、オタクです。さらに友人の母と二人暮しで、母の方が若い女に興味がない息子の友達(施設に入っていた)を心配してます。なぜ?この中年を?相手も同じ孤独な人間だからです。類は類を呼ぶというわけではないのですが、行動の裏に隠された孤独が読めるから観ているのです。これが愛情に変わるのかな。しかしこの女が恋人と抱き合っているときは覗きはしません。なにか表面的な愛というのを覗き男は自分なりに曲解、理解しているのでしょう。二人がセックスしようとすると邪魔をします。ガス会社を呼びつけたりして。

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