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しかし熊本へ精密検査に出かけるときその蘇りをした3人が一定地域から出ると消えてしまうのです。そして、生きている人間の下へ現れるんです。誰の元へかは、その人の思いの強さです。そして現世の人間を励ますのです。基本的に蘇った連中は死んだ瞬間を覚えているので、何でも人に施しをできる余裕があるのですよ。ここでありがちな展開をします。Aは実は死んでいたんです。ではどうして映画のはじめから出ていたのか?Bの思いが蘇らせたのです。その蘇ったAは平気でBを裏切るようなことをしていたのです。ではまったく蘇らせた人に施しをAはしないのでしょうか?しないわけないです。映画になりません。しかし次々に死んだ瞬間を思い出していきます。本人たちは一度死んでいるので動揺はしないのですが、周りが思いがあっただけに、動揺します。Aは施しをしなかったのは死んだ記憶がなかったためでした。(寝ていて事故に巻き込まれてしまったのです)しかしBにはチャンスがありました。それは子供が預言者で明日の夕方みんな消えると教えてくれたのです。Bは本心を打ち明けるチャンスをもらったようなものです。多分ここでAも理解してくれるでしょう。RUIというシンガーが何かのきっかけに絡みますね。はじめからずっとキーポイントで歌が流れてます。コンサートのシーンから地味に本当に地味ですがグーと盛り上がってきます。感じる人には感じる素晴らしい盛り上がり方です。歌手(メンバー)もまた蘇りでした。そしてAの会いたい人もBでした。ですからこの蘇りを利用してコンサートが開かれるわけです。そして主役の二人の再会。ここでお互いの心が解け合います。愛という形で永遠に重なり合うのです。

「たとえ、1分でも自分の本当に愛した人と心が通じあえたなら私は自分の人生を幸せだと思える。その思いが私にある限り私は前を向いて生きていくことができる」これがテーマです。

2/11

 

「奇跡の海」ラース・フォン・トリアー監督 1996年 デンマーク

この監督、やはりやばい監督だと思う。ウドキアーとか使っているし、内容もきつい映画が多いです。この作品だけ、廉価版が出てしまって処分できなくて持っております。しかしもう一度見てみることにします。私のエミリーワトソンへの印象もこの映画で変わってしまったのです。

「べスの結婚」

すでに最後まで見る自信がない。人物がもうハイランド特有の顔をしてます。そして寒さからの貧困。寒村の中の結婚です。しかしべスのあの笑顔で考えは変わりました。本当にうれしそう。結婚が幸せだと思っているのです。そして夫婦がひとつの生活単位だと思っているのです。そのためにずっと神への信仰を怠ることなく続けていたのです。素直だ。

「ヤンとの生活」結婚式のときに処女を捨て夫婦生活に入ります。前の結婚式のときにふと思ったんですが日本の田舎とそっくりな部分あると思います。欧州はすこし歴史が古く、国が分かれて民族が入り乱れている分、部落ごとに定住生活をしている日本と似ているのかもしれません。慣習に縛られるところも。横浜なんてNYよりも歴史が新しい町ですからねえ。べス(若草物語みたいですね)は「赤い糸」を信じています。運命の出会いですね。ヤンは女と結婚したくらいの気持ちです。このずれは大きいですよ。

「ひとりの生活」

夫が収入を得るために北海油田に出稼ぎに行きますがその間はべスは一人で生活をします。

しかし一生のい伴侶を神様からいただいた気持ちが強い、べス寂しくて仕方ありません。ここで感じるのですが、スコットランドのような人口が少ないところは電話線よりも携帯電話の電波のほうが能率が良いですよね。そして寒いのですから北欧で携帯電話を中心に競争力をつけてきたのはわかる気がします。しかしべスの愛情は無償のかけがえのないものですね。これはすさまじい。こういう愛は成功します。本当の愛情は一途なものです。

この辺で気がついたのですが、意外とこの監督描写がストレートなのです。性行為なんかもごまかしても良いはずなのに描くし、油田の雰囲気、厳しさも描くし、自己でヤンが倒れた病院先での看護の時もエグイし、不思議でしたが、だんだん、人と人のつながりの意味、孤独ではない、そして生まれたからにはなにか足跡を残す、魂が人間にはあるということ、人間の社会性などをうまく描いてます。なんというのか人間は人間として生まれてきたからにはそれだけで義務と責任が生じる、その根源的な部分を描いているのです。

「ヤンの病気」

前の章で、最後のほうのべスの信じる気持ちに感動して泣けてきます。前回はこんなことなかったので、何かが私の中でも変わったのかもしれません。これでこの監督のDVD−BOX買う心構えができました。実はDVDは意外と見ないのです。オリベイラもビスコンティもまだ1作品ずつ未見のタイトルがあるくらいです。

しかし病室でのお見舞いの会話はそのひと言ひと言が素晴らしい会話です。人を個人を大事にしながら相手も大事にする、そして愛する人には愛するゆえに体を抱きしめる代わりのことを要求する。

「疑惑」

ここまでは良いですね。実はここまでも前回は良いと思わなかったんです。何かが変わったんでしょう。べスを抱くかわりに誰かに抱かれる話をしてくれ、という要求に無理にこたえようとべスはがんばります。この要求は判る気はしますが、相手のベスは結婚まで処女だったんですよ。無理ですよ。それに答えるべきか教会で悩んでいる姿は実に見ていて悲しい。しかし今回はまことに爽快に大笑いさせてもらいましたが、べスがバスに乗って男の人の隣に移り、またに手をやり、ズボンを開き、陰茎をしこしこと手でこするのをべスは顔を見ることなく行い、かつ男の人もやられるままにさせておくというシーン、いやあーーー疲れが吹っ飛ぶくらいに私には受けました。前回はまったく笑った記憶がないのですが。それを報告するとき、あなたに触れたというのです。バスを降りた瞬間に吐き気をもようしたくせに。信じる、すごいことです。

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