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だんだん、身分の差がいらだたしさを演出します。まあどちらも夫、妻がいる身なのでダブル不倫ですし。でも「森の中では俺のものと」誓わせるのです。その誓い。釘を打って一人ずつ折り、二人でクロスさせるのです。こういう誓いの方法は良いですね。日本じゃ、丑三つ時の呪いですが。そこで侍女も「子供たちは去るけど、一度男に抱かれた感触は永遠に忘れない」と23年前に死んだ夫の話しなんかするのでもう焼けぼっくりに火がついた感じです。愛の形というのはこうなんですよね、という見本みたいです。たとえば、使用人の森の小屋でも満足する。使用人が用意した食事をA(レディチャタレイ)が食べないと自分も要らないという配慮。会った瞬間に抱き合う。愛というのはこういうものです。ここで疑問ですがAは夫となぜ結婚したのでしょう?政略結婚だったのでしょうか?とにかく常に感じるのですが、Aがダイアナ妃と重なって見えることです。そしてとうとう一晩を一緒に過ごしてしまいました。この後はもう検討つくところまで行くしかないですね。このAはバネッサ・レッドグループの娘が演じてます。この人からは想像できないくらい肉感的な体をしてます。雨宿りで一晩過ごした森の小屋で、雨の中二人が裸で森の中走り回るとき、愛の楽しさが満ち溢れています。出会うべくして出会った二人なのですが、あとはお互い無理を承知で困難を乗り切るだけの覚悟があるかどうかです。当然、夫は夜帰ってこなかったので心配して怒ります。しかし侍従はいいこと言います。「人の心は貧富の差とは関係ない」。姉は「生活のつながりが必要だわ」といいます。ある程度財産が必要だということでしょう。あれだけ自由奔放な姉も結局は相手を制限しているんです。しかし妹は子供ができ覚悟はできているんです。愛が一番なんていいですねえ。

第4部「愛に燃えて」

バカンスでシュールレアリズムの話をしてます。管ね。表面化の下の見えない現実、今はもう明らかな表現ができるけど、まだ必要なんでしょうか。確かに隠しているときはこの議論は必要ですが、オープンになりすぎるとかえってまともに議論しているよ、この人たち、となってしまいます。ここでも姉は止めます。愛は重要ですが、「生活が根本的に違う」「命令される側とする側」ということです。確かに日本でもある程度意識されることです。私などはもうお客様商売ですので、何もないのですが、やはり生活が安定していないとだめというのはあるみたいですよ。Bはラグビー邸を辞めるといいます。隠れる気ですね。自ら身を引く。いいことです。

しかし愛が続くきっかけは女性の愛情の深さです。それが今回はあるのです。ここで男は判断できなければ、愛情は得られないでしょう。しかしBが村でつまはじきになり、隣村の炭鉱に仕事を探しに行ったと聞いて追いかけていくAはもう「嵐が丘」のキャサリンなみです。映画では夫が侍従に「ジェーン・エア」を読んでもらうシーンがあるのですが意味あるのでしょうか。プルーストについては夫とAは意見が分かれて、Aは精神的な人で肉体的直情的でないというような批判をします。夫に少しマゾがこのあたりから入ってきます。そしてABの間には信じあう「愛」しかないのです。これだけがあれば十分かもしれませんが、不安ですよね。結果突っ走るのですが、お互いに不倫だったことが一番の問題だったんではないでしょうか?「嵐が丘」の愛にはヒースクリフの無償の愛がありました。キャサリンが結婚していてもキャサリン目当てにヒースクリフはその娘で補うこともできました。この小説はどの映画もだめなのでこうやって書くしかないですね。この映画では子供ができたとき、現代のマリアだ、私は現代のヨゼフだと喜ぶ夫がいるのです。性格的にいい人ですがどうしても合わないのでしょう。

結局、周りの人すべてが丸く治めようと努力するのにもかかわらず、「好きな人がいる、出て行く」と言ってしまいます。そのとき、夫はモーツァルトのピアノコンチェルトのピアノのさびの部分を弾いているところが良いですね。優しい人なんですよ。そして不倫の相手を知ると、驚きます。妻が気が狂ったのかという態度。お金と地位がかなり人をわけている時代ですね。そして「離婚はしない」と。たぶん名誉のため、離婚しない家系というのを守りたいためでしょう。ここで笑っているのは侍従の女。かなり支配に口を出せるようになってます。ここでも思うんですが、英国の例のロイヤルファミリーにどうしても似ている感じがするのです。これは監督の意図でしょう。しかしこの恋愛が小説に映画になったのは身分を捨てて、お金を捨ててというところがあるからでしょうか。身分のある家系はそれを守りたい、ないものは平等だと考えるのが自然です。

最後の二人の顔はそれほど魅力的ではなかったのは残念です。

途中この監督の作品のチャイコフスキーを扱った映画タイトルは「恋人たちの曲.・悲愴」でした。あとこの映画の奥様の姉に扮する俳優とかなり年齢違うと思うんですが、この映画の後結婚したそうです。監督自体もハッピーだったんですね。やけに良い映画ですもん。

2/14

 

「ヒポクラテスたち」 大森一樹監督 1980年

はじめからヒポクラテスの説明が入ってくれて助かりました。実はあまり知りませんでした。ソクラテスは知っているのですが、ソフォクレスも知っているんですが似て非なる方です。そして懐かしい「分裂病の少女の手記」を読んでいる学生。これはもしかしてまだもっているかもしれない。文章が実存について本当に語ってますよね。聞いていて懐かしさがこみ上げてきます。もうちょっと表面的なものが「十七歳のカルテ」ですね。

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