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そして舞台は京都の医大。学生としてのモラトリアム期間の映画です。いろいろと悩んでいる姿だけですが、医者になる人間がこれではというシーンが多いですよ。そしてかなりのテーマが産婦人科。避妊がどうのとか、確かに女性に対してかなり憧れの部分が強い年頃ですがなんか寂しいです。最近実体験として良い医者がいないので、特に外科、脳外科には進んでもらいたいです。「近代医学が患者の犠牲の下発展してきた歴史に目をつぶってはいけないと思う」そのとおりです。それに度胸。血を見るのがいやな医学生がいたのですが(知り合い)血を見なくてすむのは耳鼻咽喉科か精神科といってました。どっちになったんでしょうね。

映画に戻って小児科の先生の役って手塚治虫さんのような気がします。私の見た感じですが。映画に出るわけないですよね。リハビリの患者は鈴木清順監督のような気がするし、何か知っている顔がそこいら中にに出てきます。

しかし産婦人科に戻って「女の一生」初潮に始まり閉経に終わる3期間に分けられる。うーーん、怖い言葉です。これじゃプレッシャーですよ。映画でも堕胎したいという若い子がでてくるんですが大きな病院では堕胎はしないのでしょうか。そんなせりふが出てきますが、まったく知りませんでした。

劇中劇は「勝手にしやがれ」みたいですし、時代祭りのバイトなどのシーンもあり、何か旅行している気分もあって良いですね。

そして実習もだんだん、実用的なところに入ってきます。彼らは若いので、そのもやもやしたものを持っているのですよ、それでも人の命のかかわることをしなければならないし、白衣着ているだけで医者と見られるんです。その責任は大きいですよ。どこかでその責任を無意識に感じていると思います。私などは手術のシーンを見て、今なら医者になれると思ったくらいですが、勉強がついていきません。

映画の中で言うことが良い「見ているだけであんなに疲れるんだから手術すると疲れるだろうなあ」と。こういうのが医者になるんですよ。また人間の病気の過半数は治療方法がわかっていないらしい。勉強だけではだめということ。

そして「森永ヒ素ミルク中毒事件」のディスカッションがでてきます。なんともいえない、水俣病と公害とともに企業責任の問われる問題です。

つぎに主人公の医大生の彼女が中絶手術の後遺症みたいになり同級生の親の病院に連れ込みます。そこでは個人病院のつらさを聞かされます。こうやって、矛盾とつらさをどんどん刷り込まれていくのです。そして医者になるのでしょうが、なれない人も出てきますよね。人間の命は貴賎なく重いのです。このことがわかるまで私もかなり時間がかかりました。そしてどんなときでも離れないでそばにいることができることが愛情だと本当に若いときはわかりませんでした。しかし彼女は田舎に戻って入院します。そして二度と京都に戻ってこなかったらしい。別れ際の手紙も、必死に何かを求めているのですが、主人公はそれを言えないのです。「愛している、一緒になろう」でいいんですがねえ。しかし、田舎に引っ込むということは田舎の生活に戻るということ、都会は異常だから都会から離れたらもう戻れない感じがするというのはわかります。私も田舎に引っ込むいのはやめようと思います。

CTスキャンの開発は英国のEMIと出てくるんですがあのレコード会社みたいです。最近もEMIのCD、DVDいまだに買っていますからそこで儲かったお金をこういう風に再投資していたんですね。賢い。

そこで出てくる言葉「ヒポクラテスシンドローム」通称医学生落ち込み症候群。恋愛については「自分にないものを相手に求めて惹かれあうのではないく、自分にないものが相手にもないということで安心しあう関係」だそうです。白衣の下に若葉マークつけたい、これから先何人の死を見ていくのだろうか?参ったな、どれだけ助けられるかがんばりたいでしょう。と思ってみてました。

きっかけができます。それは彼女が中絶手術をした医者が無免許医だったのです。そして多分、産めない体になってしまったのです。そこへ連れて行ったのは主人公でした。そして彼女の実家に電話して「結婚することにした」と勝手に言うのです。これは主人公の感受性が優先していて現実を見ていない、そして主人公が倒れると、周りの学生たちは「医者を呼びましょうか」と反射的にいうのです。この反射的にいうこと自体が医者にはまだ早いということです。すこし狂ったようになるのですが、医者にはなれないと言うことだけでしょう。医者というのは、もっと大胆に患者を診るのです。患者を助けるのは基本的に本人の意思と家族です。そこから一線を引いて患者と接するのです。しかし事務的にではないところが難しいのでしょう。

伊藤蘭ふんする女学生、入学のときの家族との写真への責任を果たさずに、自殺とは甘い。そして主人公はこの監督自身みたいですね。この監督は「風の歌を聞け」とともにこの映画のように青春ものを扱うことができる年齢のときに燃え尽きている感じがします。

同じことは長谷川監督にも言えそうですが、それでもこのように良い作品が作れるのはすごい。若いころにしかできない映画と言うのは本当にあると思います。この作品は名作だと思いますけど。

2/15

 

「恋愛寫眞(れんあいしゃしん)」 堤幸彦監督 2003年

できちゃった結婚しちゃいましたね。広末さん。「二十世紀ノスタルジア」が好きなのでもう少しがんばってもらいたい感じです。しかし基本的には役者には向いていないかもしれません。彼女のほうが(A)写真を教えてもらってたんですが、NYで思いつくままに写真を撮るようになってました。元彼氏(B)のほうはへっこんだ人生を送ってます。最近の日本映画は悩んだ先の楽しい出会いとか、過激なものとかが多くて見ていて楽です。ちょうど「ヒポクラテスたち」の後なので余計に感じます。友人とか仲間、社会、政府とかいうの最近の映画でてこないですよね。これだけで楽。感性の映画というのか、らくだということは良いことですし、センスは数段上です。それは新しいので当然だと思います。

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