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Aとの出会いのきっかけなんか良いですよね。軟派男を殴って逃げて、公園で虹を作るなんて絵に書いたような世界です。しかし「どこでもドア」をCGでやってしまうのはちょっと、遊びすぎかな。

しかし20数年で日本の大学生もこんなに変わったのかと思わせる順番で映画を見ております。顔がすでに幼いです。何でなのかわからないのですが、たぶん育ってきた親の世代の違いがあるのでしょう。

男の子が優しくてかわいくなります。壊れたカメラ直ったなんてうそ、いいねえ。若いふたり、どこまでも幸せそうで。このシーンのアップのときの広末さんの目が充血しているのはなにかあるのでしょうか。とにかく松田さんと良いコンビです。

しかし、才能への嫉妬がふたりの関係の中でBを引きこもりというか意固地にさせていきます。わかる気もしますが、なにか甘いです。多分再三書いてますが「ヒポクラテスたち」が良すぎたせいでしょう。しかしAの別れるときの会話は素直な愛情そのものですよ。なぜに気がつかない、この馬鹿なB.と思います。「同じく空気吸っていたかった」なんて最高の言葉ですよ。いつかこういう別れかたは思い出す時がくるんですよ。実体験あります。

そして3年、同窓会の変わり方は嫌な部分です。所属する企業によって序列が変わっているんです。すでに大学では目立たなかった連中も、変わっている。会社の経費で行っているのに、偉そうにしゃべったりしている中で浮いてしまいBはAが1年前に殺されていることを聞かされます。

しかし映画自体はBがNYに行ってからおかしくなります。黒人に殴られてあの程度の怪我か?助けてくれた人の家のインテリアは?なにか、ずれた感じが出てきてしまう。

しかしABがオーバーラップしてくるところあたり、Aの意図が働いているとしか思えない。愛情ですね。Bも愛を忘れていない。別れられない何かがあるんですね。最後ハッピーエンドになったら、見ていられないという展開ですよ。まるっきりふたりの愛を見ているだけになってしまう。しかしその予想をはるかに上回る、Aと同棲していた、ダンサー崩れのコンプレックスの固まり女にAは殺され、同じくBも殺されそうになります。この展開は監督は狙っているので、幼い演出とか言わずに評価したいと思います。こんなのあり?という感じです。さらにすごいのは、それでも死なないB.かれはすでに3回死んでもおかしくない思いしてます。すべて軽傷または生活に不自由ない傷で助かってます。これも見てみない振りをしましょう。

そして、心にAを住まわせて、相談しながらNYでカメラマンとしてBが一本立ちしていく様子で終わります。こういうエンディングなら納得。単純な映画ですが、簡単に見ることはできるし、わくわくもするし愛する二人の関係が距離感が良いので良い映画だと思います。心に愛する人がいるということは大きな力となるでしょう。

2/16

 

「大いなる遺産」 アルフォンソ・キュウアソン監督 

この小説は大好きで、高校時代に原典読んでいた記憶があります。この映画はディフォルメされてます。

しかし色の使い方が意味によって分けていてきれいです。そして音楽雰囲気すべてがロマンティックにまとまってます。しかしストーリーが19世紀ロマン小説の面影がないのです。「目ではなく手に人格のすべてが出る」事実です。良いことを教えてもらったんですよ、そして命を助けてあげるんですね、脱獄囚の。これが最後まで影響するなんて、本当にわくわくして読んだ記憶があります。この映画もそのあたりのつぼがはずしておりません。

ダンスを踊りに行くといって絵を描くようになるのは最後まで影響しますよ。ひとつの冒険心、見た目ではない脱獄囚を助ける優しい心が人生を変えるのです。このダンスの音楽が「べサメムーチョ」というのがメキシコ湾岸に舞台を移しているだけにこの映画の雰囲気作りに貢献してます。

しかし子供のときの幼なじみというのはかなり人生の中で大きな役割も果たすのですね。今は近所づきあいも少ないし、マンションが多いし、習い事などで本当の近所づきあいのできる幼友達が少ないような気がします。ですから良い友人のできるような学校に通わせたがるのでしょう。この子供のときの経験が本当にすべて主人公の人生に影響してくるんですね。ここにポイントがほとんどあると思います。素直な気持ち、子供の純粋さ、子供の夢などです。

それが「きっかけ」をくれたんですね。そして若者になった(A)は成り上がって、昔のダンスを踊ったエステラ(B)をものにしようとがんばるんです。そしてNYの街を描きはじめます。なにか昨日の「恋愛写真」と同じようなパターンですね。自分でもおかしいくらい。同じく故郷の存在は大きいですよ。やはり生まれ育って利害関係のない間柄というのは一生忘れられない思い出ができるものです。お互いに語りはしないですが、その思い出は大事に持っているのです。

そしてAは才能を発揮して個展を開けるようになります。ここでミスをします。Bが求婚されていると告白するとAは「おめでとう」と言って、心の中でなぜそんなこと俺に言うのだ、と言ってしまう。これが素直でなくなってきている成り上がりの気持ちのすれなんです。ここで「俺と一緒になれ」で良いんですよ。子供のときは言えたのにね。都会に出てきてしまうと何かいろいろなしがらみが絡まっておかしくなってしまいますね。「ヒポクラテスたち」のあのカップルみたいです。しかし突撃開始。婚約者がいるのにディナーの席に行って踊ってくれないか、と誘い、昔一緒に踊った踊りを踊るのです。それは息はぴったしでしょう。NYの連中は頭でっかちが多いからこういう踊り得意ではないんです。

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