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映画も良い。出演者も良い。雰囲気も良い。こういう映画は楽しいです。

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「人間の條件」小林正樹監督 1959年

第一部 純愛篇

なんというか昔、学生のころめちゃくちゃ感動しました。安くなってしまいましたね。

まず役者からして良いです。

そしてはじめのせりふからして良いです。「好きな人と一緒になれないのなら幸せではない」最高。素晴らしいスタート。才能が違います。最高です。

「もしもあなたに召集令状がきたならば、私あなたの子供を生みたいと思っていたの」こういうせりふを素直に言える時代、映画は良いです。

炭鉱会社に在籍して民間人(A,仲代)として彼女(B,新珠)と生活を始めます。そこで特殊坑人として軍の捕虜を引き受けます。だんだん日本全体が軍と民間の垣根がなくなってくるのです。捕虜は抗戦地域の住民です。まるっきりシンドラーのリストです。陳という若者のせりふが良い。「私のお袋は私を日本に反抗しないように育てました」「抗戦地域だとお前は官官として半殺しにされるな」と。

捕虜たちを面倒見て元気にさせると、日本人の悪口を言うようになります。もともと抗戦地域にいた人たちなので当然です。なにが善意かわからなくなってきます。

また女を檻に入れると能率が上がる「人間とはどんな動物だ」という問いに答えることができません。結局娼婦館に行って頼むと、「いやなら断っても良いんだ」と言っても「仕方ない、仕事なんだから」と軽く受けるのに驚きもあるのです。Aは28歳。労務担当でこの娼婦たちも担当です。一人反対する娼婦がいます。この娼婦役有馬稲子さんなんで(Zとしておきます)

「大きな目的(戦争)達成には小さな過失(殺人)くらい見逃せ」そういう風潮にAは耐えられないのです。これは見ているのは簡単ですし、今の世の中で考えるのも簡単です。当時戦争中にこういうAのような態度を取れるかということです。しかし中国人もAが正義感が強いと知ると「なぜ裁判をしないのか」などと言ってきますし、「やはりお前も同じ日本人ではないか」と言われます。権力のない正義というのも難しいです。答えはわかりません。そんな中国人も大半は娼婦が来ると和みます。

ここで初めて知るのですが、この時点でイタリアが降伏しております。もう戦争末期だったんですね。昔といっても20年位前に1度しか見ていないので、原作も読んでいないし、勘違いしておりました。これから戦争が始まるものと思っておりました。

故郷とは。陳があることを言われます。それは「お前は中国人の精を受けて中国人の女から生まれたんだよ」日本人と一緒にいる陳を皮肉っている言葉です。これ、考えるのですが、やはり自分の属する国というのはあるべきではないかと思います。Aはその上の理想でものを考えているのですが、それは万人に通用するでしょうか?さらに上の階層に宗教がある国も多いのです。宗教は多分何千年もかけての考えた集大成でしょうから、この2000年くらいでは崩れないでしょう。2000年といってもイエスキリストを基準に話しているだけです。揺らぎが1000年単位では起こってますね。プロテスタントの存在が証明の基礎になると思います。

さて映画に。陳は先ほどの言葉で気持ちが揺らいでます。自分は中国人なんだ、と思おうとしているのです。それは中国人の犯罪や脱獄に手を貸すたびに中国人がどんどん仲間だと思ってくれることで、中国人のアイデンティティーを確立しようとしているだけなのです。そして脱獄の手助けをします。

娼婦のケースもそうですが、女の存在というものが男に与える影響、女とは、いろいろな問題提起がなされますね。Bのせりふで「四角張ってばかりいられないときが女にはあるは」という言葉もそうです。Aが硬すぎる。

「暴力に意味があるのは抑圧された人間が支配を覆すときだけだ」この言葉は普通はいえません。素晴らしい。「もっと話し合うのだ」とまで言います。逆は期待しないで言うのでしょうね。犬死しなければ良いのですが。

そして陳がもう一度裏切るかどうか、陳を中国人と話し合いで解決しようとした人の気持ちを無駄にするのか、というところで第一部は終わります。

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「人間の條件」小林正樹監督 1959年

第二部 激怒篇

ここでも冒頭のBの休暇での楽しそうな姿、素晴らしい表現力です。こんなに楽しそうな気持ちを体いっぱいに表現している演技はそうはないと思います。

逃亡してしまいました。陳は裏切ったのでしょうか。Aは戻るときにBに「たったこれだけのことで、なぜそんなに怒るのか」と言ってしまいます。やばい、と思いましたがBの反応も同じです。

そして今回の脱獄でAの友人も離れます。「根本的な矛盾の上に立って(戦争なのに)」正論はないだろう、ということですね。この友人の言うには「生まれつき粗暴なんだ」といういい訳を頭にきてやけになったときに言うのです。ここに主題があります。人間性(ヒューマニズム)は後天的に学習するものなのか?ア・プリオリに人間に備わっているものなのか?そして後天的としても生まれつき動物的なくらいに粗暴なものなのか?という大きな主題が隠されているのです

戦争ということでは、迫害されるほうにはそれをエネルギーとして燃える恋愛もあります。娼婦Zと中の囚人との一目ぼれの恋。このふたりがどういう形で関係してくるのか見ものです。侵攻している側には意外と燃える愛はないのです。攻める苦しみがどこかにあるのでしょう。苦しいから燃える力が出るのです。

ここではっきりするのですがこの会社は南満州鉄鋼会社でした。表彰式の夜の宴会は日本の宴会で楽しそうですよ。今の宴会とちょっと違う。ここでは「ソーラン節」でした。

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