前ページ

そして捜索の依頼、その探偵がまた女と来ているからわかりやすい。そして強引に男と出会う。笑っちゃいます。第二のカップル誕生。そして真相解明です。あの立ち入り禁止は軍の施設で今は使われていないものでした。入ってみるとやはり死んだ女の痕跡が。だってあの俳優ちょっとしか出ないのですが強引に脱いで泳いでいましたもん。何か落としてもおかしくないです。そして施設の中に入っていくと、驚きます。なにがってかわいい動くミニ恐竜がいるのです。特撮なんでしょうがCGではない時代ですよね。これは期待以上のかわいい動物です。そして怪しいので、プールの水を抜こうとすると怪しい男が襲い掛かってきます。てっきり怪しいやつがいたと思ったら、事実を知っている人間だったのです。しかし二人にやられて、失神している間にプールの水が抜かれます。死体とたくさんのピラニアが出てくると思ったら死体だけ。水は川に流れるようになっていたのです。期待を裏切ったと思ったら期待通りに戻ったり揺らぎがあって最終的な結論に向かう本当に楽しい映画です。見ているものは次にどうなるのか、と予想しながら見るんですよね。だから気軽なんでしょう。頭まるっきり使わない映画です。このタイプの映画というのは疲れたときにいいですね。川があって移動に筏というので「ハックルベリーフィン」と同じだと思っているとせりふでも期待通りに出てくるんですね。

しかし、どきどきしながら見ていたんですが、やはり子供も襲われました。実は子供が襲われそうな前フリはあったんですが子供が犠牲になる映画はよくないと思っていたのです。でもこの時代はまだよかったみたいですね。今じゃやばいでしょう。塩水でも生きていけるピラニアだったので海を目指して広がって行きます。まあもともと武器として作っているんで死なすことが難しいのです。まあ廃液を使って全滅させたということになってますが、海に出たピラニアもいるのでしょう、という暗示で終わります。なにかご都合主義的な感じもしますが、はじめにプールの水を抜いた女は自責の念はないのでしょうか?そこが知りたいです。

3/20

 

「昆虫大戦争(こんちゅうだいせんそう)」 二本松嘉瑞監督 1968年

虫ですね。あんまり言うことない感じがします。虫が異常発生して飛行機が墜落した。その墜落した飛行機から逃げた兵隊を殺した容疑がある男にかかる。その飛行機は米軍の飛行機なのでちょっと問題が生じるという程度。英語は吹き替えですし、昆虫の研究員がかなりの権力持っているという状況はほっときましょう。この場所は米軍が占領していたので自然がそのまま残った場所だとのこと。米軍はじつは意外とそのまま残しているんですよ。横浜もそうです。根岸森林公園なんか意外とそのまま残ってます。

しかし実は誰かが毒虫を飼って増やしていたのです。これ戦争になるんでしょうかね。それも大戦争ですからとんでもない展開が待っているのかもしれません。

ユダヤの女が(ナチスの拷問の仕返しに)世界滅亡毒虫で実現しようとしているのです。実はこの映画、今見ても、この白人の女がとてつもないビッチで「ファム・ファタール」に負けないくらいの映画ですよ。何でこんな映画が作れたんでしょうか。とにかく1968年の松竹はおかしい。何かがあったんですね。まったく判りません。

この毒虫の島を、水爆がばれないようについでに使ってしまって破壊しようという米軍です。何も書くことないですが面白いんですよ。そしてやけにまじめなんです。

そしてまたしても悲惨な終わり。よくこれできましたね。逆にまとめて同じ年にこういう映画作っちゃったんでしょう。最後水爆おちても昆虫は生き残り飛んでいってしまいます。

そして水爆の煙を見ながら海のうえで祈っている女。題名からじゃ判らないですね、よく作った。よくできました、という感想です。うそみたいな話ですが政府が輸出品に映画を指定して補助金が出るということで輸出仕様で外人がたくさん出ているんだそうです。うそだーー。爆笑。

3/21

 

「ベン・ハー」ウィリアム・ワイラー監督 1959年

この映画は「十戒」と違い、ユダヤとローマが出てきます。エルサレムに逃げてソロモンの神殿の元、信仰は捨てていないところから始まります。ナザレ(A)がベツレヘムに行くところ。当然ローマの統治下。ひとつの流れ星が救世主の誕生を祝うかのようです。今から思うとこの映画は「ローマの休日」より新しいんですね。クリスマスに見ればよかった感じがします。「処女受胎」のシーン。確かに馬小屋です。そしていきなりタイトルのあと紀元26年になるのです。ここではカルトの一神教がはやってます。メサイアが起こると、そし預言者の元、反ローマ運動が起こると信者は信じてます。大工の息子は神は心の中にいるというのです。また大多数のユダヤ人は心の中に信仰を持ち、ローマの兵隊は皇帝に誓いを立てているのです。ずいぶんと異なるわけです。「道を作って兵の移動」でローマは中心として流通でも栄えるのです。そして栄えるところに文化あり。花の都になっていきますね。

ジュダ・ベン・ハー(B)の旧友メッサラはローマの司令官(C)としてエルサレムに戻ってきます。しかしローマに反抗するものを密告せよ、ということでBCの友情は壊れます。そのときちょうどBの部下に当たるものが娘(E)の結婚の許しを受けに、まあお披露目です、Bのところに来ます。Bは愛される人柄、それを心のどこかで妬んでいるんでしょうCは圧力政治に出ます。アクシデントのBを捕まえて裁判をしないまま「ガレー船」漕ぎにします。高貴な人が落ちぶれていくさまは見るものをある種の覗き趣味にします。理由がある程度納得できるものなら、意外と起こりうる嫉妬だと思います。普通に力や知識でかなわないときに起こりがちなケースですよね。

次ページ