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あと練習中の兵隊の言葉に「俺たちは人間じゃない、生きていると思うな、生きていると思うから苦しくなるんだ」という言葉がありますが、そうでしょう。これは経験してみなければわからないことです。そして明日が出撃という日が来ます。場所は大津島というところ。失敗しそうだからあいつははずすか、とか、坊主の出身の兵隊が数珠を自分の乗る潜水艦(人間魚雷)につけて「地獄行きは覚悟しなければ」というくだりがあったり人それぞれ、身分相応に立場が違えば考えも違うんです。しかし、国のためというのは変わらないです。出撃の前の日の宴会は、なんというか華やかなもので、あきらめの後の人間にしかできない開き直りが楽しいものになるのでしょう。ということは、今の時代は、開き直りや、ぎりぎりに追い詰められた状態ではないということですね。

俳優の名前はわかりませんが朝倉少尉と役者名で殿山さんと加藤嘉さんの3人のシーンは涙がこみ上げますね。こういうことは実際にあったんでしょうね。もったいない人材を失ったものです。このようなシーンもこの監督はその効果を狙って作ったというより、実際にあった事を、なくなった戦友たちにささげるために作ったから、その失った友を思う、偲ぶ気持ちが弔いとなっていい映画となって結実したのでしょう。

カントの「そうだ、これでいい、なにもかもいい。もはや言うことはない」と死んでいったときの心境にまで昇華できたのでしょう。

唯一、笑えたのは「特攻隊の方々の前に出ると、軍神ですから」とおびえている給仕兵隊に対して「軍神か、早いこと化けの皮がはがれる前に、神になるか」という冗談を言うときです。極限まで行くとこういう冗談が言えるんです。冗談というのは中途半端な状態ではいえないことなんです。真の冗談というのは、貧乏など極限のときに出るもんです。

しかし仲間の潜水艦が空母など大物に出くわす前に撃沈してしまっており、人間魚雷は発射されずに死んでいきます。それを聞いて乗組員はあせります。駆逐艦が来て潜水艦を撃沈しようとしたとき、艦長は深く潜水しません。なぜなら、回天が壊れる危険があるからです。しかしこの潜水艦も人間魚雷未発射のまま撃沈してしまっては意味がない、そう思った回天乗組員は、たとえ駆逐艦相手でも私が行くといいます。艦長も仕方なく承知。

そのあと、艦隊に遭遇して2隻の空母を含む軍艦を映画の中では爆沈させました。

解説でもありますが、この回天は成功率が高く、戦後すぐに回天を搭乗した潜水艦を連合軍は調べたらしい。死がわかって、生の期限を切られても、相手艦隊にぶつかっていく精神力を持ち続けることは並大抵のことではありません。彼らの魂の鎮魂をするとともに、このような戦争を繰り返さないように努力することは必要なことだと思います。

NYの9.11のテロとは質が違います。中東の自爆テロとも次元がまったく違います。なぜか?わからない人はいないでしょう。

4/24

 

「戦艦大和(せんかんやまと)」安部豊監督 1953年

「回天」もそうでしたが学徒出陣があったのでかなり、哲学書を持って兵役についていたみたいです。回天ではエマニュエル・カント、この映画ではスピノザです。逆に今の学生はどれだけ読んでいるのでしょうか?馬鹿にしたもんではないと思います、かなり読んでいるみたいです。この映画は助言に大和の副長が入っているので、かなり忠実なんでしょう。

それからすると、大和の出撃は時すでに遅し、本土で活用すべし、だったみたいです。さらに燃料も片道分しかなく、沖縄援護に単体に近い形で出撃したみたいです。戦争はなんでもそうですが、後から見ると馬鹿げたことはいくらでも出てきますね。

船員の言葉は涙が出てきます。「大和は沖縄の真っ只中に出て、敵の標的となって、その間に特攻隊が攻撃をする」理にかなっておりますが、みんな犠牲になりますよね。絶句。特攻隊は援護機ではないのです。そして制空権はアメリカにあり、空からの攻撃には弱い軍艦に過ぎない大和、せめて空母なら、空対空の戦いができます。なんで出て行ったんでしょうね。しかし一条の光はあります。出撃前に予備兵を降ろすのです。これはもう艦長はじめかなりの人のコンセンサスだと思いますが、(映画では明記はしませんが)、将来の日本を担うものを囮に使って無駄に死なせたくなかったのでしょう。

この映画とすると、出撃してから、内地の恋人とか妻の回想がいくつも入り、映画のテンポが急に悪くなります。後は沈没するだけですからね。しかし潜水艦にも弱いのは致命的でした。しかし死ぬ気なので、どんなに水が入ろうと、どんなに被爆されようと、誰もひるまないで最後まで魚雷の位置などを確認する様は見ていて言葉では表現できません。まったく無駄な戦いなのですが、ここまで命を捨てた戦いはないでしょう。まるっきり織田軍に挑んだ武田軍みたいに無駄な突進です。しかしこの様子は心には刻み付けておこうと思いました。役者もまだ、特攻隊会館で見た写真のように目がきらきらと輝いているんです。あの目のきらめきを見た人たちは取り組みがたい相手とは思ったでしょう。今の日本人にあるかどうかという議論はおいておいて。

最後に傾斜復元の見込みがなくなったとき「総員を甲板にあげます」、言葉がなくてもこの総員の気持ちがひしひしと伝わってきますよ。さらに逆もあったのでしょうが、沈没した後、浮き木にもたれて漂流している兵隊に機銃を浴びせてきます。これには、事実とはいえ参った。やはり現実のほうが映画より怖い。自分が映画を作ったらこんなシーンまで用意はしないと思いますし、最後の言葉「戦争を生き抜いたものこそ、真実次の戦争を欲しない」も事実だと思います。戦場の怖さは多分味わって見なければわからないと思います。

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