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Bは学校も辞めてチンピラと付き合っています。それが映画館で隣に座って手を握ったらついてきたという関係らしい。チンピラには風俗嬢の女がいます。

Bは別れたはずの男と付き合っていたところ、ホテルに入るのを見られて、Aがその部屋に押し入ります。まあ刑事だからできる無作法ですし、知らなければ、Bも良い妹の振りができたのですが知られたら関係がこじれます。

Bが殺人の容疑がかかります。それはチンピラが殺されたからですけど、まあ映画を見ていれば、風俗の愛人が殺して罪を着せようとしたというのはなんとなくわかると思いますけどね。

しかし妹を疑ってからのAの行動せりふのテンションの高さはすごいものがあります。これって、愛情をかけすぎた待ち続ける自分がかわいそうと思う「岸壁の母シンドローム」に近いものがあるような気がします。異常な環境でしたからなんともないのでしょうがAは深い愛情でBを見ていたんです。そして逮捕したときのシーンはかなりまともな判断で良いシーンです。

 

で題名なんですが、チンピラたちも博多から出てきた貧乏人、その連中が金持ちのぼんぼんを通じて知り合い、恐喝などの関係になり、お互いを疑心案疑で見ていたところから複雑に絡まるだけの、底辺の人たちの話だったのです。刑事が底辺か?この映画では育った環境が悪かったということです。炭鉱がなくなったときなんですよね。この時代。

4/13

 

「北京バイオリン」 チェン・カイコー監督 2002年 中国

予告編がよくって観てしまいました。

演技は下手です。話もありきたりで、わかっているような内容ですが、観てしまう魅力があるんです。父(A)はコック(職人というのはポイントが高い)で子供(B)が13歳のバイオリンの好きな男の子。

北京のコンクールに出ますが、寄付の額で優勝者が出るという始末。そして北京の市民でないと入学できないという状態でABに壁が襲いかかります。それにもめげずに入学させるという情熱のA.それに応えるB.ただそれだけの話です。あとは映像がきれいに決まるか、どんなエピソードを入れたかでしょう。教える教師がいい加減で、と本当にありきたりの展開で安心感があるのか落ち着いてみることが出来ます。あまりにもオーソドックスすぎる内容に拒絶感が生じる人もいるでしょう。ついでに、これは私の偏見かもしれませんが、この映画にも携帯電話が良く出てくるのですが、携帯電話はアジアの人間のほうが良く使うような気がします。うまく利用方法を確立すれば、北欧のような競争力がアジアにも付くと思うのですが。

あと近くに住んでいる女もアクセントにはなってます。物語の展開ではクレッセントですか。そして音楽を通してこの人も幸せになっていく。教師はアダージョみたいな感じです。この人も幸せになっていく。Aは転調かな。笑い。

Aは教師が教えることはないというのに、ほかの教師がいいと思うと変えようとするし、親ばかなんです。しかし田舎に出稼ぎに行くといったとき何か嫌なものは感じました。そして教師の「捨て子」仮説。言ってはいけない事だと、聞いていて背筋が寒くなったことを覚えております。しかしね、あの「5万元」をめぐってのAと女のやりとりは、なにかほっとする、実に涙が出てくるやり取りです。貧乏を経験するとわかる、思いやりをお互いに持っているのです。この辺の、捨て身の相手を思いやる考えは私は好きですね。

最後は予想しない展開になりましたが、商店街ということでは北京がすごく活気があるように映ったのは驚きました。そんなことはどうでもいいのですが、Bもまた捨て身になりましたね。正直に将来を捨てても自分を捨てなかった連中、女とはじめの教師がその場にいて親子の対面を祝福したのはすごくいいことです。

 

演歌というと馬鹿にされがちですが、その演歌の魅力がある映画だと思います。ストレートに真実を描いて照れていない部分が好きですね。

4/14

「切腹」 小林正樹監督 1962年

「人間の条件」以来の小林監督です。あの映画は良かったからなあ。この映画も評価はすごく高いです。

芸州の福島家の藩士だった男が、主家の没落と共に江戸に出てきたが埒が明かず、切腹をしようと思い井伊家の軒先を貸して欲しいと願い出るところから始まります。この映画はこの当時でもそんなに若い人をターゲットにした映画ではないと思いますが、はじめからこんな説明でわかる人は今では少ないと思います。いわゆる、「たかり」です。切腹させるわけにはいかないので何がしかの金品をあげるか、または仕官させる前例が出来てから流行ってしまったのです。しかし井伊家は違いました。切腹させてあげようと言うのです。すると浪人もあせる。しかし追い込む井伊家、仕方なく切腹しますが、もって来た刀が切れない、それで時間がかかってしまう。最後には歯で舌を噛み切る。これは自分のまいた種ですから恨みは出来ないでしょう。しかし井伊家の罪もあるかと思います。ちょっとの逃げる隙を作るだけでも井伊家の家名は安泰すると思うのですが、甘いですかね。とにかく琵琶の音色が映像にぴったりとはまってます。音楽は黛さん。カメラは宮島さん。

次に来たAにはこの話を聞かせて帰そうとするのです。しかし切腹をすると。そして介錯を馬回り役にお願いします。その指南頭がいないので迎えに行く間に戯れ話。それは先の浪人はAの知り合いだとのこと。そして福島正則の流れとその没落の話を言って聞かせる。周りの井伊家の連中もこれが理不尽だと知っているので、なんとなく聴いてしまいます。そして先の切腹した人間は自分の同僚の子供だというのです。この辺は普通には聴いて入られません。井伊家は徳川譜代ですが福島家は豊臣の譜代ですから、感覚が違うといえば違うのです。しかし介錯の指名する武士がみんないないのです。それらはみんな先日のAの同僚の息子の切腹を進めた男です。ここでAが命を賭けて仕返しに来たとわかるのです。

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