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「もともと罪科の切腹にあらず、介錯人は私が選んで当然」と井伊家やり込められました。前回は親切を義に切腹させたのですが、今回は親切を前に出すなら、この言葉が利いてきます。「かくなるうえは問答無用じゃ」と言わせたらAの勝ち。戦う義が出来ます。しかしまた戯言を始めます。今度は話が終わったら切腹、抵抗しないとの約束。かなり覚悟が出来てます。

この戯れ話ですべてが明らかになるのですが、武士階級のうわべだけのプライドを痛烈に批判します。A自体もちょっと前までは気がつかなかったことです。

3人の髷をとって井伊家のみんなに見せ付けて、3人のいい訳を明らかにしたところ、まさに千両役者、かっこいい、というか素晴らしい出来。実践が剣法より強いことは「プライベート・ソルジャー」でも明らかでした。

そして、井伊家の中での立会い。無理に切ろうとするから、切腹したいというものの望みをかなえてやれずに抵抗の理を与えます。その結果、ここで死んだものは病死、Aは切腹で片がつき、体面を整えました。後半の1時間近く、心臓がパクパクした緊張感のあるシーンの連続で興奮がなかなかさめやらぬままでした。

映画というのを超えて感動しました。

4/15

 

「復讐するは我にあり」 今村昌平監督

いい映画だと知ってみているんでなんとも思わないですが、はじめに捕まるところから始まるのですね。仔細は忘れています。そしてまず2つの殺人を動機の提示なく見せます。表面上は売上金強盗でしょうが、そんなことで出来る殺人ではないです。

五島でのキリシタンの差別も入るあたりから、面白くなるのですが、結局、戦前、親の代から犯罪が形成されたのでしょうか。いや、親の敗北を見てぐれたという事なのでしょうが、親元から離れたという感じです。そして、別府で旅館を構えます。嫁は愛媛の春川温泉で女中をして生活してますが、嫁を迎えに父親が行きます。そこで嫁と父が抜き差しならぬ関係になり別府に戻ります。この嫁と父、息子と母という関係がすべてをおかしくさせます。しかし、ここで注目すべきは家族の中で人間関係が完結していて、「家」というものが大きく影響をしているということです。いまではもし不平があったなら、友人とか下手するとインターネットとかに逃げることが出来るのです。人間が一番怖いのは自明ですし、腐れ縁というか壊れた人間関係の中で悪態を付かれるのが一番疲れるし大変なことでしょう。そんな中、もともと犯罪歴がある主人公が立ち直るきっかけを失ったままになります。

しかし旅館で生計が立っているのがいいですね。これだけ修羅場の家庭ですと仕事に身が入らないと思うのですが、これは私の職業病かもしれません。映画の画面以外の生活まで考えてしまうんです。

後半は主人公の逃亡生活ですが、口から出まかせばかりで旅して歩いているんですが、本人の心情はまったくといっていいほど描かれておりません。その反面、実家では嫁が父と出来てます。というより、嫁が愛情の深い女なんです。倍賞美津子さんは良く演じきりましたね。またね、主人公は主人公で旅先で良い女を見つけるんです。小川真由美が演じるのですが、「どこへでも連れてって」というせりふ言うまでの流れが本当にうまい。本当に犯罪旅行になってしまいますけどね。このせりふを聞いたとき、決まったなあ、と思いました。しかし、そこからがすごい。犯人とわかって家につれて戻ります。覚悟はできたわけですが、この女の母(殺人罪で15年服役)から「人並みの暮らし」できるようになったのに壊しに来たのか「出てってくれ」と言われます。「人並みの暮らし」と言える人は苦労はしてますね。しかし、この女を殺したとき、あきらめたのでしょうが寒気がしました。何かが狂っている。映画としてもラストシーンは狂っている。あんまりいい映画でもないですね。

4/16

 

「水の女」 杉森秀則監督 2002年

はじめのシーンの舞台どこでしょうか?やけに海が瀬戸内海ぽいのですがよくわかりません。そして父親、恋人をなくしてひとりになった女(A)が富士山の近く「天下茶屋」に向かいます。ここも知らないのですが、富士山の見え方からすると富士川沿いでしょうか?しかし樹海が映るんで本栖湖のあたりかな。まあ樹海ってアイルランドの森に似ていますね。今回はじめて気付きました。そこで変な女と知り合いになり、気持ちが落ち着いて帰ってくるのですが、改めて銭湯の大きさに気が付きます。そこに見知らない男がいます(Bとします)。このBは火が好きな男でAは水の女、ですからABで銭湯が再開できるという安易な流れです。「はじめてあった人と仲良くしたいなら何も聞かないこと」と富士山で会った女に言われたのですがAはBに何も聞きません。富士山というのは銭湯の背景画というつながりがあったのです。AがBに好意を持っているのは歴然としてますよね。

それは置いておいて銭湯のシーンはすさまじいですよ。さらに次の日の朝の掃除。大変そう。人間の垢は脂ですから、排水溝とかも掃除怠ったらいけませんよね。しかしなんというかAB二人の動きが仕事をしているように見えないんです。役者なんだから仕方ないとおもいますがどう見ても力仕事や銭湯を経営しているようには見えない。まあどうでもいいことですけどね。雰囲気とかでできる仕事ではないことは事実です。

Aの母という浮浪者が出てきますがBが勝手に阪神大震災の被害者ということにします。その映像が小川真由美さんが演じるのですが、ちょうど先日見た「復讐するは我にあり」の彼女からすると痛ましい感じで変わってしまったなあというのが実感で、女の辛さ、が出てしまいます。女性は老けるなあと。しかし「復讐するは我にあり」の浜松のシーンと同じような展開になるとはねえ。偶然ですかね。こちらは男のほうが自殺して終わります。

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