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「鬼一法眼(きいちほうがん)」11 勝新太郎ほか監督 1973年

第二十三話 安田公義監督

よくあるパターンですが、商人がだまされて没落して、その娘が仇を討とうと志しているところに主人公との出会いがあります。それを止めて、主人公自身がその裏幕を調べます。すると、何人も悪い奴らが出てくるのですが、大元の一番汚いやつを突き止めます。そして代わりに仕返し。というか、最後に仇討ちの相手の前で拳銃を構えて仇討ちをさせます。

うーん、ここに来てもまだ、自分の仇討ちはどうなるのか見えてこない、本流から離れた話でした。

10/14

 

「ラブホテル」相米慎二監督 昭和60年

昔観た時の印象はまったくないのですが、最近、この監督の作品が気に入っているのでもう一度見直してみます。

まあ、私生活で多分借金漬けになって妻を取られた(寝取られるという感じ)男がどうにも首が回らなくなって、風俗遊びをします。その女を自殺の道連れにしようとするのです。そんな弱い男が、その風俗女を縛り付けて脅しているうちに、女の快楽というものを見せ付けられてしまうと、生きてみようと思うのですよ。

そんな始まり方をします。ちょっと、過激な女優の演技が入るので意味なく観ていると映画の意味がわからなくなる展開ですね。

生きていく手段としてタクシーの運転手を選ぶ。そして2年後、街でこの女を見かけます。追いかけて待ち伏せしてタクシーに。当然女のほうは気がついていないのですが、なぜか相性が合うのです。そのあともなにかにつけて会うようになるし、お互いに必要な存在になってくるのです。まさに「出会い」だったのでしょう。

しかし、映画では女は勤める会社の社長と不倫関係にあります。それがばれて破局に。不倫ですので、独身のほうはつらい。この場合は女のほうが独身で、この社長は家庭に帰っていきます。この不倫がばれた日の夜のこの元不倫相手にかける電話の内容の寂しさは身に染みます。ここに二人の寂しい男と女が出来上がります。しかしタクシーの運転手も破産したため離婚しているだけで精神的には奥さんはまだ家庭をもっていると思っているのです。そして出直そうと。

しかし女の気持ちはどんどん男に近づいていきます。その挙句、男もこの女がいとおしいものに思えてしまう。この感情はどうしようもないもので、またまじめな男にとってはその感情を陰で支えてくれる妻の存在ゆえに受け入れることが出来ないのです。

そんな中、最初に出会ったラブホテルで最後の夜。そして男は消えて行きます。女はやっと見つかった瞬間の休息できる相手とも本当にすぐ別れが来てしまう。しかしけじめとなって前向きに生活を再スタートさせればいいのです。

そんな終わり方。

ちょっとスケベなシーンが多いのですが映画の本質は好きです。この女優もかなり度胸あると思います。安易に人に薦められないタイプの映画ですね。

10/15

 

「点子ちゃんとアントン」カロリーヌ・リンク監督 1999年

ケストナーの原作ですね。「二人のロッテ」もそうです。どちらも甲乙つけがたい素晴らしい作品です。映画もいいのですよ。たぶん前にも書いていると思います。

点子はパパが医者で母は海外友好大使、それで豪邸に住んでいて、お手伝いさんと家庭教師までいます。実はこの二人の家族以外の人が陽気で、結果的にこの映画の話を円滑に進めてくれるのです。両親はエリートにありがちな自分中心主義。

アントンは点子の彼氏なんですが、家は貧しく、両親は別居(離婚)状態。さらに母の健康が優れずに代わりにアイスクリーム屋で働いてます。またこのアイスクリーム屋が陽気なところで、こんな商売日本でも受けるのかな?と思うようなところです。そしてこの映画の登場人物はかなりの人間がこのアイスクリーム屋に出入りしております。ですから二人の家族以外の人間たちが意外と陽気な連中なんです。アイスクリーム屋の店員で悪い奴が一人いますけど。

まあ、最終的には、家族愛、隣人愛が一番、そしてお金は回る、うまくまわそう、ということです。なんというか投資とかの世界ではなくて、愛情の世界というのが良いです。

何回も同じものですみません。

10/16

「ことの終わり」二−ル・ジョーダン監督 1999年

この映画はいい映画です。世間での評価は高くはありませんが、私は好きな映画です。

不倫の映画なんですが、不倫したもの同士にもわからない女の気持ちがあったのです。それはそれを思う女自身にもわかりえないものでした。ですから第三の人という書き方になるのです。男は不倫をされたと思い、嫉妬する。しかしこの男も他人の妻と不倫しているのです。しかし自分からの浮気は許さないという勝手な男で、不倫相手に探偵をつけます。すると男が浮上してくる。これが第三の男?違います。しかしそうだとだまされることでしょう。そして第三の男がいると勘違いしたら、すぐに本当の旦那のところに知らせに行きます。まさに汚い男。旦那のほうは観て見ぬ振りをすることにします。では第三の男はどうやってこの妻たる女の気持ちに入り込んだのか?それは男が爆撃を間接的に浴びて、死んだと思った瞬間、どんなことをしてもいいからこの男を生かしてくれと祈ったからです。男も「すごく幸せな瞬間だった」というようなことを言っているのです。では誰に祈ったのか?彼女の中に存在する神に対して祈ったのです。そして命が救われた、そのため、彼女はそれ以降、その祈りの代償を行うのです。それが男をして不倫と間違わせた原因でした。第三の男は神です。では彼女が祈らなければ男が死んでいたのか?それは観客に答えをゆだねます。しかし描写は女が信仰心を持つきっかけとして描いております。「奇跡」が起きたとするのです。

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