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この結末は意外とたいしたことはないのですが、何がいいのかって、二人のラブシーンがいいのです。これはなんというか恋愛している二人の距離感ってこういうものだよな、と一目でわかるような感じで、エレンバーキンの演技の勝利でしょう。

それだけでも最高ですが、内容も枝葉の部分が面白かったり、今は主役級が脇役で出ていたりで面白い映画でした。こういう風に期待しないで観て面白い映画に出会うとうれしいですね。

9/17

 

「ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー」マイク・ニューウェル監督 1984年

WOULD  YOU  DANCE WITH A STRANGER.

この映画は実はロードショーのとき観たかったんですが見れなかった思い出があります。

1954年のロンドン。いい景色が出てきますよ。

ナイトクラブの歌手に恋した青年。しかしこの女には子供がいてその子供を学校に入れるのを経済的に援助してくれる男がいます。

青年のほうはルマンレースに遠征に行きますが結果は優勝できず。こちらも婚約者はいるのです。ですから盛り上がるとしても、犠牲になる人はお互いにいるというわけ。

青年は良家のお坊ちゃんで、実際に実家を見に行ったときに女はあきらめました。何せ子持ちの水商売の女ですから。しかしお互いの感情は深く交流しているのです。ですが女は子供を学校にやることにします。平凡な中年を選ぶのです。ここで面白いのは男は二人ともトラッドを着てますが青年のほうが粋な服装です。この辺は日本でも昔流行した形で懐かしい感じもしますよ。

そしてお互いが勝手な部分があるので周りに迷惑をかけてもう一緒にはなれない関係になってしまいます。しかし想いはお互いに持ったままなので話がややこしい。しかし引き合う気持ちは止められないのです。でもってお互いに責任を持ち合う関係にはなれなくて子供も中途半端になってしまいます。それで女に好意を持っている中年の男は心配で二人がけんかをすると仲裁をするのですが気持ちが自分に向かない苛立ちがあるのです。でもこの愛する感情だけはどうしようもないものなので自分のほう向くのを待っているのですがなかなか自分のほうに向かないのです。それをいらいらしながらもじっと耐えているのです。まあ日本だったらこのような男のほうが勝つのでしょう。しかしこの映画ではどうなんでしょう。まあ予想を超えた最後でした。

とにかく感情のもつれ合いの映画だけではなく景色、女の化粧などがすごく印象に残る映画です。

9/18

 

「トスカの接吻」 ダニエル・シュミット監督 1984年

懐かしい映画です。昔はこんな映画ばかり観ていました。

ヴェルディの家に集う、往年のオペラ歌手を中心にドキュメンタリータッチで話は進みます。そして老いて歌うソプラノの「椿姫」には本当の「あわれ、不幸の女」の気持ちがわかるかのような雰囲気が出ております。なんといっても若いうちには、この不幸の気持ちはわからないで歌っていたことでしょう。

しかしテノールにしてもとにかく発声は素晴らしいものがあります。さすがに引退しても衰えることのない音感と美声。

そしてシミオナートの「歌手が観客から離れる」という言葉はいいですねえ。印象を残して消えるということです。

ここで役者論をひとつ。役者というのも人間ですので、生まれは普通の人間です。しかし目指すものが演技というのです。しかしここに登場する人たちは、舞台を中心にひとつの世界を作り上げた人たちです。そういう意味では自分の中に確固たる基準を持った人たちでそれを変えることはなかなかできないのですが、その通りに演技をさせると実に役者を超える演技をするのです。それがこの映画ですね。その意味では最高の演技の映画です。

そして歌う歌がすべて「愛」の歌ばかりで人生いつまでも愛を忘れないという世界。

バリトンは「リゴレット」の思い出に、現役ではない昔を懐かしく思う「哀れさ」が漂います。こうしてオペラ、特にヴェルディのこれらのオペラは社会的にあまり恵まれた立場ではない人を扱っているだけに、老齢の元スターの哀愁にうまくはまり込みます。

そして思い出に浸りこむときの、その役へのはまり方はさすがに素晴らしい。一級の役者たちです。

9/19

 

「マンマ・ローマ」ピエル・パオロ・パゾリーニ監督 1962年

この監督はスキャンダルばかり注目されますが、意外といい映画を作る監督だと思います。

主演のアンナ・マニャーニ(A)は大好な女優です。

作風はこの監督の一作目と近い感じのするものです。母の気持ちと子供の反発と贖罪がテーマに近いと思います。そのことを画面では、キリスト教の有名な絵画の構図をモチーフにして描ききっております。気がつかなかった点ははじめのシーンが「最後の晩餐」の構図ということ。

あとは磔のキリストの名前はわかりませんが、力強い絵画の構図も最後に出てきます。ここで子供は贖罪として死んでいくのです。その過程は母がもと娼婦でまるっきり恵まれない家庭だったことで一人息子に過大な期待をすることに起因するのです。この期待は当然なものなのですが息子のほうは体が弱く、また少し引きこもり気味な性格で母の心配を招くのです。ですから、母が狂言でまともな就職口を見つけてくれるし、元娼婦の直感で息子が親しくする女を避けるように指示します。これらが息子には余計なお世話に映るのです。しかし人生の修羅場をくぐってきた女の正しい判断なのです。そして唯一の欠点は息子をまともな人生を送らせようと考えた母親の気持ちが強すぎた点でしょうか。しかしこれは当然のことで、欠点とまではいかないはず。

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