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今度の問題は、とりあえず、文通相手が金持ちとどうして知るようになったか、本物の文通相手の女は殺されたのか?というドラマツルギーになってます。

しかし簡単に女は見つかります。ここは強引な展開。すると殺したけど、その殺された女も同じこと考えていた、というのです。そして共同の犯人の相方の男がお金をすべて持って逃げたという話。

また信じてしまう。そして身の上を聞いているうちによりを戻してしまうのです。ということは、ほかにこの女の捜査を警察と探偵にお願いしてあるので、二人で逃避行をします。まあいつかは事実を話すのでしょうが。

さらに犯人の男はほかにも事件を起こしていて、警察にいるのです。

ここで探偵と逃げている二人の緊張感に焦点が移ります。ここで決定的な事件が。それは探偵と男が出会ってしまい、大体お見通しの探偵は、この女を捕まえるというのです。何となら殺された女の姉も捜査依頼しているため、そちらのほうの正義も追わなければならないとの事。正しい。それゆえ、探偵を殺さざるをえなくなります。この女のために、財産を失い、殺しまでやる男。こうなると結末にしか興味がなくなりますが、それはこの監督の勝利でしょう。

最後までお金に固執して夫を殺そうとする妻に対して、殺してくれと、でもお前が好きだといってくる夫。ここでこの馬鹿妻もはじめて愛を知るというお話です。夫の立場からすると高い恋愛のようですが、なくなったお金はすべて遺産だったわけで、愛を勝ち取るほうが大きいのです。

懐かしいし、やはりいい映画ですね。

9/23

 

「高校大パニック」石井聡互監督 1978年

なにか、スピード感があり、意外と面白かったです。しかし今の時代には通用しない映画でしょう。というのはこの映画はバイオレンスものでしょうが、それでもこの映画の時代には教師に威厳がありました。今は教師が犯罪はするし、生徒は引きこもり、殺人はするという世の中なので、まだほのぼのした動機ですしまじめな生徒の暴走に過ぎません。

内容は進学校で落ちこぼれた生徒が差別に逢い、教師を撃ち殺すところから始まります。この銃は銃砲店で店番の隙を狙って盗んできたものでした。なぜ殺したのか?それは受験の模試で成績を上げられなかった同級生が自殺するところから、受験重視の教育に疑問を持っていたからです。この映画はこのように受験で人間性まで決定するかのような風潮を批判もしているのだと思います。

そのあと警察が来るから、仕方なく校舎の中を逃惑っていたら、何人かが犠牲になっていくのです。

この警察は射撃隊まで出動させ、まるで「明日に向かって撃て」のような状況になります。

そのなかで最後に残った女の子の人質とある程度、意思疎通が出来るのですが、その女の子は射撃隊が間違って殺してしまいます。これで逆に人がいなくなったので警察は一斉に踏み込んで逮捕するという結末になるのですが、警察の不手際がかなり描かれている映画なのであまり上映される機会は少ないような気がします。

しかしある程度テンションは高く、ひきつけられる映画でもあることは事実ですよ。

浅野温子さんが初々しいですねえ。

9/24

 

「囚われの美女」アラン・ロブ=グリエ監督 1983年

ルネ・マグリットの「囚われの美女」の作品を実にうまく使った、まさにだまし絵のような作品です。観客は常にマグリットの作品のモチーフや「囚われの美女」の構図、絵そのものが出てくるのでその意味に固執しますが実は、それは巧妙な監督の観客の意識をそらせる手段だったのです。なにかそこに意味を求めますが、そこにあるのは、主人公たる男の固執した女というだけなのです。まあ片思いの愛なんでしょう。またはあこがれ。

その対象たる女を固定するために、監督はこの「絵」を手段として使うのです。

その背景の風景たる海で戯れる女の映像もその意味で実は引っ掛け。事実、7,8年も前に死んだはずの女ということで、どういう死に方をしたのか、提示してくれたとの解釈をするのですが、それももしかしたら主人公の頭の中での想像に過ぎないのかもしれません。

そしてこの絵のモチーフとモチーフの対象たる「囚われた女」の周辺を主人公はさまよいますが迷宮の中に入り込んだ形になります。

そして迷宮を出るためには「死」しかない、深い迷宮に入り込みました。まさに死の間際の甘美な夢が映像となってここに結実したのです。

なんというのでしょうか、私はすごく好きな映画です。本当に美女は出てくるのか?まあ少し活発的な美女(ぼかしはたぶんマスターにも入っていると思う)は出てきますよ。もう少し神秘性があっても良かったかも。

最後にシューベルトの弦楽四重奏はまさにこのような迷宮にぴったりの音楽だと思いました。逆に言わせていただきますと、シューベルトの弦楽四重奏を観るという感覚もこの映画の表現として合うのかもしれません。決して難しい映画ではありません。イメージの世界、描写の映画です。記号の意味がわかると簡単です。「街を歩いている半分は死者だ」なんて言葉にも注意かな。ボス=妻=死の使い。ボスからの電話がきっかけで、託された手紙が迷宮への切符です。その迷宮が好きな女の謎の死を探求するという意味と自分の死という両面があるのです。観ている人が少ないだけで話題にあがらないだけかと思います。

9/25

 

「他人の顔」勅使河原宏監督 1966年

この監督の作品久しぶりです。そして実にいい映画だとまた再認識いたしました。でも今この宗家、映画作るとしたらまったく違うタイプの映画になりそうな感じもします。

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